NHK「欲望の資本主義」の制作担当者である丸山俊一さんが書いた本。
タイトルのとおり、資本主義を14歳にむけて書いた本です。
この本は資本主義を教科書的に説明した内容ではありません。
あくまで丸山さんの意思が介在された「恣意的な資本主義」が説明されています。
しかしその恣意的な部分に、わたしはとても同意するところが多かった。
共感より違和感を
特にわたしが重要だと思ったのは、
第3章「共感」が商品になる時代のワナ
です。
ここ最近の映画をみていて思います。
ある一定のスケールを超えると、作品性よりも共感性が重要視されますよね。
「おもしろい、おもしろくない」は二の次になり、人と話題にするための消費物に転じる。
それはそれでかまわないと思います。
しかしはじめから「共感消費をスケールさせよう(たくさん売ろう)」とした場合、その作品は最大公約数的な「安パイ」な作品に集約されていきます。
問題は個人がその共感消費に売り手として興じた場合です。
例えば「これからは個人の時代!フォロワーを増やして発信力をつけよう!」
なんてメッセージがありますよね。
フォロワーを増やすには、まさに共感が必要で、共感を消費物として扱う必要があります。
それが共感市場にのる、ということ。
しかし得てして人に共感されることと、自分の本意にはズレが生じるものです。
結果「本当の自分」と「アカウント」の間で自分が引き裂かれることになる。
そしてそれが市場、つまり商売になってしまうと「やめるにやめられない事情」が生まれてきます。
既にSNSを経てビジネスが成立している場合、そうかんたんにSNSを捨てられませんよね。
そうなると、引き裂かれたままでい続けなければいけません。
自分にウソをつき続けなければいけない。
それはツラいことだと思います。
かつての社会も、やはりこのような「引き裂かれる現象」は起きていたと思います。
仕事場での自分とふだんの自分が、あまりに違い過ぎる。
そのようなことは会社組織の連帯が強かった昭和の時代はたくさんあったと想像します。
かつてインターネットはその反動の受け皿になっていました。
「自由になりたい!」という人が自由になる場所だったのです。
しかし共感が商品になることで、今再びウソをつく場になっていった。
さらにたちが悪いのが、今なお残っている「会社組織からの反動」を巧みに利用して、「SNSで自由になろう!」と無責任に発信する人がたくさんいること。
しかし前述のとおり、そこは会社組織よりもウソをつかなければいけない場所かもしれないのです。
仮に成功したとしてもほとんど場合、会社員よりも不安的な働き方になります。
そう考えると、SNSで「会社辞めよう」と煽っている人はいかに無責任で、自分の利しか考えていないかがわかります。
共感消費とはつまり「良い、悪い」「好き、嫌い」といった判断基準を他人に委ねること。
もちろんコミュニケーションのタネが必要ではないわけではありません。
人と人とをつないでくれる流行作品を否定しているわけではないのです。
しかし「自分で自分の機嫌をとれる」のが大人と言うものではないでしょうか。
共感の快楽に興じてばかりいては、自分の足で立つことができなくなっていくように思うのです。
市場が共感を押し付けてくる時。
わたしたちがむしろやらなければいけないのは「違和感」を自分に取り入れることです。
共感だけするは気持ちいがいい。
しかし「おごり」や「偏見」を助長させる原因にもなります。
「こっちの共感」ばかり摂取していると、「あっちの共感」はひどく気持ちの悪いものになる。
それがつまり「分断」というものではないでしょうか。
あっちの共感=違和感をわたしが意図して取り入れなければ、共感市場は自分を引き裂き、社会を引き裂く力学をもっています。
インターネットと資本主義に反省を
この本が刊行されたのは2019年の1月。
今から2年前です。
わたしはそこに希望と絶望を同時に感じました。
いま世界ではインターネットと資本主義を反省するフェーズに入っています。
2020年のアメリカ大統領選挙での一部の暴徒による議事堂乱入事件を経て、その世論はピークに達しているように思います。
世界ではずっと前から、インターネットと資本主義に批判と反省を提案する言論が確実に存在していました。
日本でも2019年にこの本によって、その言葉が届けられました。
しかしわたしたちの国では、未だに共感市場にのることばかりを考えている人が多いように思うのです。
このまま共感市場にのってばかりいたら、日本でも遅かれ早かれ分断の問題が表面化するでしょう。(まぁ、既にしているかもしれませんが…)
日本でも大事なことを本にしてくれている人が2年前にいたんだ、という希望。
2年前からいたのに社会がそれに応じていない、という絶望。
この本を読んで、その二つ想いが自分の心に錯綜しています。
『14歳からの資本主義』は、共感市場だけでなく、その他の資本主義やインターネットに関するさまざまな事柄に対して「違和感」を表明した本だと思います。
わたしも14歳の子どもたちにぜひ「違和感」を持って欲しいと思います。
そしてこれからの社会を決定づける現役世代は「違和感」から目をそらさない責任すらあるのではないでしょうか。
お金と情報は今、確実に社会問題として浮かび上がっています。
わたしたちが原発の問題を前世代から受け取ったように、この問題を未来の子どもたちへ先送りするのでしょうか。
それはまさにわたしたち自身にかかっていると思います。