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長田弘さん『読書からはじまる』を読みました。これは大事な本です

長田弘著「読書からはじまる」の表紙

近所の本屋さんで、なんとなく手に取りました。

長田弘さんはご本人が翻訳した詩集を一冊もっていたので、名前は知っていのたのですが、著書を読むのははじめて。

 

なんとなく読み始めた本なのに、この本には今、わたしが求めていたこと、世の中への違和感が書かれていたように思います。


読書からはじまる



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本が、つまらない!

数年前からどうも「本」がおもしろくない。

特にビジネス本です。

 

書店で平積みになった特集コーナーでは、海外のベストセラーを薄めた内容が並ぶ。

インフルエンサーという肩書の人たちの本が日々、乱発されている。

 

インターネットにたくさん流れている内容をまとめただけのような「まとめ記事」ならぬ「まとめ本」がほんとうに増えました。

 

そう思った時、わたしにとって「読書」はひどくつまらないものになりました。

しかし『読書からはじまる』を読んで気づいたのは、どうやらわたしがつまらないと思う読書は、読書でなかったということ。

 

じゃあなにかと言うと、それは「情報収集」だったのだろうと思います。

それは「役に立ちそうなもの」を摂取するだけの行為です。

 

例えば食事において、栄養だけ摂取することを楽しいと思うでしょうか。

サプリメントを飲むことに楽しさがあるでしょうか。

 

もっと言えば、点滴から栄養を摂取するのは楽しいことでしょうか。

むしろ苦行に思えます。

 

食事が楽しいと思える時は、心と技術のこもった料理を、教養をもって味わえたときでしょう。

サプリメントとは、まさに「情報収集」であり、料理を味わうことが「読書」であった。

 

では、「味わうような読書」とは、いったいどういうことか。

「なにを言うか」「だれが言うか」そして、「どう言うか?」

世の中ではときおり「これからはなにを言うかではない、だれが言うかだ」と流布されています。

情報それ自体はあふれるようになり、情報の価値は目減りした。

 

だから情報を届けたいのなら「届ける人」そのものに信頼性や人気が必要だと。

これははんぶん正解で、はんぶん間違いに思います。

 

「だれが言うか」を重視するあまりに、「この人が言うなら、間違いも正解」という状況がところどころで噴出しています。

特にインターネットの世界において。

 

なぜ、そのような事になってしまうかと言うと、これは受け手側に「どう言うか」という視点が欠けているからであろうと思います。

 

著名な人(だれが言うか)が、

自らの専門領域(なにを言うか)を

目の前で語っていたら、それは信頼に足りるかもしれません。

 

しかし、ソファにふんぞり返って、荒れた言葉遣いで語っていたらどうでしょうか。

つまり「どう言うか」という視点において、違和感を発していたら?

 

受け手は慎重にならなければいけません。

実際、そのような状況に出くわした時、わたしたちは自然と警戒するのではないでしょうか。

 

しかし、インターネットの世界ではこの「どう言うか」は極めてわかりにくい。

発信者の態度、表情、声色などが無い、もしくは加工されているからです。

 

結果、盲目的に情報を信じる人が増えているのではないでしょうか。

もっとも「どう言うか」が見えないので、「信じるしかほかない」のかもしれません。

 

『読書からはじまる』が教えてくれたのは、この「味わうような読書」とは、この「どう言うか」を味わうことです。

インターネットの世界、言葉の世界ではたしかに「どう言うか」は見えにくい。

 

ところが、見えにくだけで確実に存在しています。

具体的にいえば、それは文体であり、デザインであろうと思います。

 

だれが言うか、

なにを言うか、

は、たしかに大切な要素です。

 

しかし、もうひとつ「どう言うか」のスイッチを起動させなければいけません。

そうでなければ、情報の大波をただ無批判にあびるだけで人生が終わってしまう気がします。

アルゴリズムの外側へ

新幹線の車窓から、あぜ道にさく花を見つけることはできません。

見えるのは、そのスピードの中でも見えるように最適化された、どぎつい看板広告でしょう。

 

わたしたちが今、インターネットから言葉を得ることは、まさに新幹線に乗ることに他なりません。

遠くの目的地にはやく行くために、無限の看板を見続けている。

 

わたしは、その時間はおそらく豊かではないだろと思うし、その風景に違和感をもっています。

だからわたしたちは、ときどき新幹線を降りて、自分の足で歩いてみたり、走ってみたりして、見える風景を変えてみる必要があります。

 

本屋の平積みがつまらないものになったのは、新幹線の車窓で人気の出たものを並べるからです。

新幹線のスピードや、窓枠の大きさを「アルゴリズム」と言います。

 

アルゴリズムが変われば、読み手が見える風景が変わり、書き手の見せたい風景も変わってきます。

そしてアルゴリズムは、そのプラットフォームの主催者が決める。

 

今、プラットフォームを作っているのは、主にAppleやFacebook、GAFAと呼ばれるIT企業です。

わたしたちはIT企業の決めた新幹線の窓枠のなかで、より目立つように、より儲かるように、言葉を発し続け、また読み続けています。

 

つまりわたしたちの言葉は、アルゴリズムに最適化されるのです。

IT企業がみずからの利益を優先するアルゴリズムを推進する限り、そこで発せられるわたしたちの言葉も、宿命的にその方向に寄り添うことになります。

 

そして今、そのアルゴリズムの中では、「どう言うか」がないがしろにされていると思うのです。

もっと言えば「どう言うか」はアルゴリズムに決定づけられ、そこに書き手の自由がない。

 

だから「味わうための読書」をして、「どう言うか」という視点を手に入れるためには、「アルゴリズムの外側のことば」にふれる必要があります。

 

アルゴリズムの外側とはどこか?

本屋がアルゴリズムに飲み込まれつつあるなかで、アルゴリズムの外側がどんどん減ってきている。

 

手がかりのひとつは図書館でしょう。

また文庫もそうかもしれません。

 

文庫は数年前に刊行された本を「これはこれから先も読まれてほしいな、読まれるな」という意図から、再編集された本です。

 

なにを隠そう『読書からはじまる』は文庫で購入しました。

本書は2001年に刊行され、2021年に文庫化。

 

わたしは2001年時点で、長田さんが情報社会に対して違和感や危機感を抱いていたことに驚きました。

それは今になって間違いなく表面化しており、その危機意識がわたしをこの本へと導いた気がします。

 

そしてこの本は、刊行から20年後にわたしを励ましました。

それこそが読書のおもしろさなのかもしれません。

 

この本は、おおよそインターネットではお目にかかれない「アルゴリズムの外側の言葉」です。

すっかりアルゴリズムに毒されたわたしも、なんだか面食らう気持ちがありました。

 

しかし一方で、目が覚めたという快感もあります。

ぜひ多くの人に読んでほしい一冊です。


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