「将来、なにになりたい?」
わたしたち大人は子どもたちに当たり前のようにそんな質問をします。
でも、そのわたしたちが、実は夢を見ていませんよね。
若いころは夢と希望に燃えていたな…。
そんな風に過去を振り返って寂しくなる。
またあの頃のようにに、なにかに向かって突き進んで行きたい。
でも、ふと「あれ?夢ってなんだっけ?どうやって夢を見るんだっけ?」と途方に暮れてしまったりして。
人生の酸いも甘いもしった大人たちは、また改めて夢を見るのが難しい…。
でも、きっとまた新しい夢を見て新しい人生を始められると思うんですよ。
レーサーになる?「レースをする」それが夢だろ?
これは敬愛する甲本ヒロトさんの言葉。
曰く、夢は必ず叶うと。
レーサーになることではなく、レースをすることが夢だとすれば、それは誰でもできる。
だから誰でも叶えられる。
この理屈は、大人になってから夢を見ることに繋げられると思います。
なにかになることじゃなく、なにかをやることを夢に
子どもたちには「なにになりたい?」とたずねます。
つまり肩書や職業を聞いている。
肩書っていうのは常に他者からの承認を必要としますよね。
「おれは弁護士だ!」って叫んでも、ちゃんと資格=他者からの承認を勝ち取らないと、誰も自分を弁護士だなんて認めてくれまません。
でも誰しもが子供のころ描いた夢を叶えられるわけではありません。
しかしここで「なりたいもの」じゃなく「やりたいこと」にフォーカスするとどうでしょうか?
やりたいことが「法律で困っている人を助ける」だったら、他の職業も浮かんでくるはずです。
いや、職業にならなくても、なんらかの方法でそれを達成できることができるかも。
そして「なりたいもの」の多くは残念ながら、年齢制限があることが多いでしょう。
誰しも40過ぎてJリーガーにはなれません(笑)
でも「やりたいこと」の多くは、今からでもできるはずです。
漫画家になれなくても、マンガは書ける。
ミュージシャンになれなくても、音楽は奏でられる。
芸人になれなくても、人を笑わせることはできる。
きっとなんでも、今からできることがあるはずです。
他者からの承認を捨て、自分の人生にフォーカスする
そしてまた、年齢を重ねていくごとに大事だと思うのが、他者の承認を必要とせず、自分自身でちゃんと人生の満足度を高められることです。
「なりたいもの」はすべからく他者の承認を必要とする。
だとすれば、「なりたいもの」を目指し続ける限り、他人に人生の評価を委ね続けることになります。
でも他人の評価っていうのは安定しません。
個々人の思考、時代、環境でいかようにも変わってくる。
変わりゆくそれらに人生の目的を求めても、ただ右往左往するだけで、いつまで経っても満足感は得られないではないでしょうか。
わたしも人生の残り時間が短くなるにつれて、そういった他者の承認に合わせて迷う時間がもったいないと感じるようになりました。
だから大人にとって夢とは「なりたいもの」より「やりたいこと」なんです。
肩書を背負いたいというある種の見栄を捨てて、自分が本当にやりたいことをやっていると、人生は楽しくなっていくのではないでしょうか。
この話がみなさんのなにかしらの参考になったらうれしいです。