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大原扁理さん『フツーに方丈記』を読みました!矛盾、していこうよ

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大原扁理「フツーに方丈記」の表紙

大原扁理さんの新刊『フツーに方丈記』を読みました。

 

この本は大原さんが”超訳”した方丈記と、大原さんがコロナ禍の中で方丈記を読んでと考えたことが掲載されています。

 

相変わらず軽快な文章が魅力的なスルスル読めちゃいますが、これはなんとも「俺得」な本でした!

 

わたしはミニマリストが好きで、それについて情報を漁っていると、『方丈記』に辿り着くんです。

 

方丈記の著者、鴨長明は元祖ミニマリスト的な人物。

 

今で言うタイニーハウスの方丈庵に住んで、晩年を過ごします。

 

ミニマリストに興味をもつと自然と方丈記に興味持つと思うんですよね。

 

ところがどっこい、方丈記の原文はやっぱり少し読みにくい

 

いくつかの訳も読んでみようと挑戦してみたのですが、そのたびに挫折したわたし。

 

しかし!

 

まさかのファンである大原さんによる”超訳”が発売されるとは…!

 

いやはや、なんともラッキー。

 

まずこの企画を考えた人に拍手をしたい。

 

大原さんご本人なのか、編集者なのかわかりませんが、たぶん編集者でしょう。

 

この調子でソローの『森の生活』も超訳してほしい(笑)

 

大原さんは英語の心得もあったと思うので、絶対におもしろい本になると思うんだよなぁ。

文筆家 大原扁理の魅力

わたしは大原さんの本をすべて読んでいます。

 

そんなガチファンのわたしが、今回の本で印象的だったのは、まず大原さん自身が「隠居」の肩書きを実質的に卒業したことを明言されたこと。

 

前作や前前作あたりから感じていたことですが、大原さんの文章はなかなか他の人が書けるレベルじゃなくなっていた。

 

文章の世界には、ブレイクした肩書きをいつまでも引っ張り続ける人っているんですよね。

 

筆力じゃなくてキャラクターで勝負するタイプの人。

 

まぁ、それはそれでぜんぜんオッケーなんですが、大原さんがプロの文筆家になっていく過程で「キャラクター商売」をするのか「職人的な文筆家」になっていくかは、ちょっと興味がありました。

 

本音を言えば、キャラ売りする「インフルエンサー」になったら残念だなと思っていました。

 

いわば「ビジネス隠居」になったら嫌だなと。(勝手な願望なんですけどね)

 

しかし、今回の『フツーに方丈記』はすごく良い塩梅の内容だなと思いました!

 

たしかにキャラがないと書けない企画でしょう。

 

しかし名著『方丈記』を超訳するなんて、それこそガチプロとしての「筆力」がないとできないじゃないですか。

 

「キャラ」以上に「技術」がなければ、この本は存在し得なかった。

 

この本を経て、大原さんの本に潜む魅力は、そのキャラクターからその文体へと明確に移っていったと思います。

 

文体をたのしむとは、それは夕日をみて、シンプルに「きれいだな」と思う気持ちに似ています。

 

「夕日からセロトニンやビタミンが得られるからだよ」なんて、夕日に意味を付随させることは可能ですが、意味に関係なく感動することができるのが人間です。

 

そんな風に、その文章の内容とか意味だけじゃなく、ただその文章を読むだけで、ある種の快感がある。

 

わたしとって、大原さんの書く文章はそんなレベルに達しています。

 

ある意味で文学といっしょなんですけど、エッセイとかコラムをそのレベルで楽しませてくれる著者って、あんがい少ない。

 

今のわたしの中では、大原扁理さんと稲垣えみ子さんかなぁ…。

 

どちらも文章にも「ひょうきんさ」があり、読んでいて楽しい。

 

まぁ、文体には好みがありますが、少なくとも評価されるぐらいのクオリティには達していると思うんですよね。

心に矛盾をとりいれる

内容にもちょっとフォーカスすると、この本で深く言及されているのは「」についてです。

 

感染者と死者がまいにち報告される今の世の中で、なかなか見てみぬふりするのもむずかしいその言葉。

 

一方で、どこかで見ないふりをしないとやっていけない事柄でもあります。

 

「死」について考えることは、難しく、苦しく、矛盾に満ちています。

 

だから誰しも考えたくない。

 

だからといって、考えることに意味がないとは思いません。

 

なぜなら今の情報社会では、かんたんで、気持ちよくて、正しいモノが溢れているからです。

 

わたしはその「かんたんさ」が人を傷つけているように思えてなりません。

 

人は、難しい問題を考え続ける胆力を持ち合わせていなかったりする。

 

だから、安易にかんたんな正解に飛びついてしまったり。

 

ところが問題は難しいままなので、しばらくすると正解なんて変わっていく。

 

そのズレをズレとして認めず、執着する時、じぶんや他人を傷つけることになるのだと思います。

 

だから矛盾に満ちた「死」について考えることは、やさしさのレッスンになり得ると思うのです。

 

「死」を、自分ごととして体にしっかり取り入れる時、人は人が矛盾に満ちた存在だと知り得るでしょう。

 

それは他人も同じく矛盾に満ちた存在であることを知らしめます。

 

その認識はときに他人を赦す理由になるのではないでしょうか。

 

とは言え…。

 

「死」って日常生活のなかで、なかなかカジュアルに話せませんよね(笑)

 

誰にとっても平等に大事なことなのに、家族ですら難しい。

 

そこでの出番です!

 

ほんとうは話したい、考えたいけど、陰キャ認定されるのが怖いあなたも、本の中で大原さんの意見を聞いて考えるのなら大丈夫。

 

大原さんの態度で特徴的なのは、「死」についてだけでなく、積極的に矛盾をとりいれるところです。

 

コロナ禍ではびこった「経済か命か」なんて議論にも、大原さんはひとつひとつの言葉を解きほぐしながら、「でもさ」と矛盾をとりいれます。

 

そこには経済側が打ち倒そうとする命側の人間も、命側を打ち倒そうとする経済側の人間も気づき得ない視点があるのではないでしょうか。

 

わたしも大原さんの視点を唯一の正解と思わずに、わたしなりに矛盾していくことでしょう。

 

そうやってゆっくり回り続けたい。

 

っというわけで、『フツーに方丈記』は重そうなテーマを扱いながらも、その筆力ゆえに軽く、楽しく読めちゃうとっても良い本でした。

 

ぜひ読んでみてください!

その他の大原さんの本の書評は関連記事にまとめています。

 

合わせてチェックしてみてください。

 

関連記事:『20代で隠居(思い立ったら隠居)』書評。この本はわたしの人生の土台

 

 

今日のあとがき

4月18日

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