別に特別な才能がなくても、孤独をたのしむ方法はあると思うんです。
わたしは数ヶ月前にパートナーとお別れして、今はひとり暮らし。
仕事はブロガーという特殊なことをやっています。
ブログなんて同人誌みたいなもんですから、いわゆる「クラアントワーク」を排除しようと思えばできるんです。
実際にわたしにクライアントはおらず、Googleをはじめとしたいろんな「広告システム」のおかげで生計がたっています。
仕事も孤独、プライベートも孤独。
60歳過ぎて孤独を味わっている方もツラいと思いますが、若い孤独もなかなかツラいものですよ(笑)
やっぱり「これがずっと続くのかな…?」という不安や心配が出てきますから。
でもふと思ったんですが、36歳にしてこれほど孤独な生活を送っている人って逆に珍しいのでは。
30代と言えばふつう、家庭をつくり、会社でも責任ある立場になっていって、孤独とは無縁ですよね。
でもそんなわたしだからこそ、他の人より孤独に向き合い、その楽しみ方をより知っているかもしれません。
っというわけで、この記事ではわたしなりの「孤独の楽しみ方」をご紹介します!
【大事】孤独を楽しむ前提【下地づくり】
運動をする
運動の効果は凄まじい…!
たぶん、いちばん孤独に効果的なんじゃないでしょうか?
孤独がネガティブに語られるのは、それに伴って不安感や寂しさがあるからですよね?
そのネガティブ感情を軽減するのに運動はうってつけだそうです。
孤独を感じたとき、人ってどうにかこうにか理屈をこねくり回してその負担を軽減しようとします。
「人付き合いで傷つかなくても良いし!」
とか
「時間もお金も自由だし!」
とかとか。
孤独に対する解釈を変えるのもひとつのアイディアですけど、でも、まぁ、あんまり効果ないと思います(経験談)
それより運動することで、脳みそ(理屈)が動かない時間をつくった方がイイ。
わたしは半年ほど前からスポーツジムに通っているんですけど、通っている皆さんは孤独とは無縁そうですよ(笑)
一説によると人間が幸福感を感じるのは「有酸素運動を他人と共有した時」だそうです。
なので、孤独が嫌な人はスポーツジムに行って、なにか大人数のレッスンエクササイズをやったほうがいいかもしれない(笑)
もちろん、ひとりで孤独にランニングやウォーキングするのもおすすめです。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」は未来永劫にわたって真実でしょう。
孤独をこじらせないためにも、運動して健やかにじぶんを保つのがまず孤独を楽しむ前提になってくるような気がします。
運動の効果について理解するには、ロングセラーになっている『運動脳』を読むと事足りる。
運動の良さを「これでもか!」と語ってくれています。
関連記事:アンデシュ・ハンセン『運動脳』書評。運動なくして、健康なし
SNSを見ない
人が孤独をいちばん感じるのは、集団から外されそうになったときです。
なぜ集団から外れる=孤独がツラいのか?
その理由は太古の昔のサバンナで、人間がまだ原始人だったときまでさかのぼるそう。
体が小さく、力が弱い人類は、集団を形成しなければ生き残っていけませんでした。
集団から外れることは生命の危機に直結したわけです。
だから人類には孤独をツラいものとして認識させ、集団に戻るよう促すシステムが脳にインプットされているんですね。
このシステムが過剰に働いてしまうのが、現代のSNSだと思います。
SNS上では常に活発にコミュニケーションが交換され、それに伴って自然とコミュニティが形成されます。
コミュニティが形成されれば、そこにヒエラルキー(上下関係)も生まれます。
「ヒエラルキーの下に落ちたくない!」
そう思うのは、先ほどの孤独が死に直結するという理屈をもってすれば、避けられないことです。
ここでポイントなのが、孤独がいちばんストレスなのは、実際に孤独になったときではなく「孤独になりそう」なときだということ。
まさにその「下に落ちたくない!」というその時。
そしてSNSとはその「孤独になりそう」な状態が無限に続くわけです。
SNSの中には、ほとんど無限のように人がいて、無限のようにコミュニティがある。
だから常に「最適なコミュニティ」とか「親和性の高い人」を探してさ迷うことができてしまう。
しかしそのコミュニティがじぶんにとって代替可能である以上、じぶん自身もまた代替可能な存在であることは避けられません。
たとえ一時的にヒエラルキーの上層にいられても、またいつじぶんより強い人が現れて、下に落ちるかわからない。
なにせもう、ツイッターだけでもユーザー数が4,000万人を超えています。
そこには常に新しい人との新しい競争が待っている。
だからSNSに浸っている以上「孤独になりそう」という状態が解消されることはありえません。
よくよく考えてみれば、現代では孤独になっても直ちに命の危険があるわけじゃないのに。
それなのに、脳が未だに孤独をツラいものとして扱うのは、脳は未だにサバンナに生きているから。
わたしたちは1万年前から体の仕組みは変わっていないそうです。
だからやっぱりSNSに孤独感を刺激されることは避けられないので、だったらSNSそのものを避けるしかないんです。
関連記事:あなたが今すぐツイッターをやめるべき理由
孤独を忘れて、没頭しよう
わたしは「孤独=楽しいもの」とムリに書き換える必要はないと思います。
むしろ孤独の解釈を変えることは、いわゆる「こじらせる」原因になるような気がします。
孤独をツラい、悲しいと感じるのは人間として本来的であり、自然なことです。
それは受け入れたほうがいい。
孤独感を感じているのに、理屈で解決しようとすると心と頭がねじれて、不健康になってしまう。
でもだからといって、執拗に「孤独感」を感じる必要はないでしょう。
孤独感はてきとうに軽減させるのが吉。
ひとりでも孤独感を軽減させる方法は、なにかに「没頭」すること。
多くの孤独な人にとって、その対象は「趣味」となると思います。(わたしの場合は「仕事」もそうですね)
「その没頭できる趣味がないんだよ!!」って?
ほんとうに趣味がないんでしょうか?
そう言いつつ、運動しないでSNSばっかり見ていませんか?
SNSを見ない人も、やれ写真週刊誌やらワイドショーやらネットニュースと、「他人のこと」ばかり気にしてませんか?
おそらくそのせいで「没頭」できないんです。
運動しないから、没頭するためのエネルギーが少ない。
その少ないエネルギーも、SNSに吸い取られてしまっている。
それなのに「なにかやらなくちゃ…!」という焦燥感だけが募る…。
そんな悪循環に断ち切るためには、没頭するための下地づくりが必要です。
つまりそれこそが「運動」であり「SNSを見ない」なんですね。
このふたつをしっかりやることで、エネルギーが充填され、趣味に没頭できるようになります。
また趣味がない人も、趣味探しに没頭できるようになるでしょう(笑)
孤独を楽しむのに才能はいらない
さてその「没頭するための下地づくり」ですが、果たして才能は必要でしょうか?
とてもじゃないですが、必要とは言えないですよね。
しいて言えば「努力」が必要ですが、それもまた「環境」を変えることで、努力しやすくなります。
ですからぜひスマホを家に置き去りにして、外に運動しに出かけてみて下さい。
そしてそれを習慣にすることで、少しずつ孤独上手になっていくと思います。
できればスポーツジムとか、そのための「環境」をつくってしまうのがおすすめ。
孤独な人は、孤独ゆえににお金に余裕があるのではないでしょうか(笑)
ジムの会費も気前よく払っちゃいましょう(笑)
今はchocozap とか格安のジムもほんとに増えました。
それに将来的に孤独じゃない時期(あるいはその瞬間)がきたとき、心身ともに健康じゃないと楽しくないですよね。
わたしはそう思って、まいにちを健全に過ごせるように意識しています!
