30代も半ばになると、若い頃より体力の衰えを実感します!
同時に人生の短さだとか、老後について考えてしまう。
わたしは今、ひとり暮らしでパートナー(家族)もおらず、ずいぶんとまぁ、お気楽な立場ですが、それでも将来の不安がないわけじゃない。
むしろひとりだから不安があるのかも(笑)
この記事では、ミニマリストのわたしが「今、老後についてこう考えている」ってことをまとめてみたいと思います!
老後対策①:お金
お金の問題は「家計」と「仕事」に分離しているのがわかります。
このうちじぶんの努力でどうにかできる割合が大きいのは「家計」のほう。
家計に関しては、ミニマリストが役立つ!
古い話題ですが「老後2,000万円問題」なんてありましたよね。
あれ、紐解いてみたらけっこう高い生活水準を想定してたみたいです。
実際は2,000万円の貯金がないからといって、老後ただちに不幸になるわけじゃない。
ミニマムな家計で健康で健全なウェルビ〜イングな暮らしができるのなら、別にそんなにお金は必要じゃない。
例えばその健全な暮らしに月15万円必要だとして、人間、必死になれば15万円ぐらいなんとかなると思うんですよ。
老後でちょびっと年金もらうとすれば、さらにハードルは下がるわけだし。
なので今からミニマム&ウェルビーイングを考えていくのは、良いことだと思います。
一方「仕事」のほうはどうでしょうか?
「必死になれば月15万円ぐらい…」と言ったものの、今なら「AIに仕事が奪われる」とか、いろんなことが言われます。
まぁ、それならそれでAIができない仕事をやれば良いでしょう。
そして「AIができない仕事」につながるヒントやスキルは、やっぱり今やっている仕事の中にしかないのかなと思います。
本やネットから情報を得て、なくならそうな仕事にアタリをつけて働く…そんな器用なことはふつうできない。
それは外れたとき、ダメージが大きいでしょうし。
例えば「新聞社が潰れる」なんて言われてもう20年ぐらい経ってますよね?
「テレビはオワコン」と言われながらも、みんなまだまだテレビの話題で盛り上がってるし。
つまり未来は思ったよりもじぶんで選べるってことだと思うんです。
「オワコン」と言われるものも、それが大好きな人が1万人ぐらいいれば、そこに市場が生まれる。
日本国民1億人。
まぁ、だいたいどんなオワコンも1万人ぐらいファンはいるもんです。
その小さな市場で食べていくことは、ぜんぜん不可能じゃない。
余談ですが、インターネットの素晴らしいところは、その1万人が即時に繋がれることなんですよね。
あと最近「経済が死ぬ」みたいな言葉をよく聞きますが、経済って死なないと思うんですよ。
っというのも、経済活動って人間の本質そのものです。
人間はひとりで生きていけない。
これは厳然たる事実。
だからみんな、みんなで財や富を生産し、交換しないといけません。
その生産と交換が経済ですね。
だから「経済が死ぬ」とは「人間が死ぬ」ということなので、それはありえない。
つまり「仕事」がどんなに変化を起こそうとも、どこかしらで「経済」は動いているので、潔くそっちに移動すればお金は手に入るでしょう。
動かなくても、さっき言った「1万人理論」のほうを適用させれば、食っていく可能性はある。
人間は多様性があり、有機的な存在なので、だいたい決まりきった行動をとりません。
それが日本国民1億人、世界70億人という途方もない母数で語るならなおさら。
つまり「将来の仕事」について言えるのは、「そんなもんわかんない」ということです(笑)
もし将来の仕事について今、できることがあるとすれば、それはやっぱり「今の目の前の仕事」をがんばることでしょう。
もし接客業をやっているなら、人と人とのふれあいの中に「AIにできない仕事」がたくさんありそうです。
プログラマーなんか、いかにも”奪われそう”ですけど、その最前線にいるからこそ、「AIにできない仕事」がより解像度高く見えてくる気もします。
「将来、AIに仕事奪われるから、今働いても無駄」という行動がいちばん意味わかんないですね(笑)
けっきょく、じぶん自身のレベルアップは一生懸命働くことでしかなし得ないので。
家でSNS眺めて、てきとうに呟いてて”強く”なれるのならそれで良いですけど、まぁなかなかそうじゃない。
まとめると、老後のお金のために今できることは、
- ミニマムでウェルビーイングな家計をつくる
- 今できる仕事に一生懸命とりくむ
のふたつ。
老後対策②:健康
これがいちばん重要!
お金についてかんたんに言うと「老後働けばイイ」っていう理論ですけど、健康じゃなきゃ、それもかなわない!
健康がすべての土台ですよね。
っというわけで、さいきんわたしはジムでランニングしています(笑)
健康はすべての土台、そして運動は健康の土台ですね。
たぶん、健康になろうとしたらこればっかりは避けて通れません。
運動するから”動”物なわけで、もし人間という生物が運動しなくて良い環境にいたなら、植物になっていた(らしい)。
だから運動は動物(人間)の大前提。
その前提から逃げることは、どうもできそうにないみたいです。
まぁ、運動するのはかんたん。
ただやれば良いんですから(笑)
しかし、健康について運動以外でわたしには大きな課題があります。
それは孤独!
一説によると「孤独は喫煙ぐらい体に悪い」のだとか。
さっきの「経済」の話もそうですが、人間ってひとりで生きていけるようにできてはいないので、孤独な状態はストレスと不安です。
そしてストレスと不安は健康にネガティブな影響を及ぼす。
これまた生き物の本質に根ざした、避けては通れないシステムです。
わたしは自らすすんで「孤独」になっていったクチ。
おそらく人より孤独に強いんでしょうけど、それでもたしかに「孤独ストレス」を感じることはあります。
とりま、この「孤独ストレス」をしっかり見つめようと思う。
世を見渡すと「孤独を楽しもう」とか「ひとりのほうが良い」なんて情報はたくさんありますよね。
しかし、悪い意味でそこに埋没しないようにしたい。
人には、じぶん自身で満たせる部分と、他人と触れ合うことでしか満たせない部分が確実にあります。
その認識を塗りつぶすように「孤独、最高!」という情報に浸ってはいけないでしょう。
わたしの好きなマンガに、
本当は自信がないから殻を作って閉じこもり それを孤独と読んで世を憎み…
努力する謙虚さも ひたむきに生きる誠実さも 感謝するやさしもない
つまりぼくは…ただのバカだと加瀬さんは忍耐強く教えてくれた
という言葉が出てきます。
きっと今のわたしに必要なのは、孤独を慰める情報じゃなく、こんな説法なんだと思います。
”こじらせる”なんて言葉は好きじゃないですが、生き物としてあるべき姿(他人と触れ合うこと)からズレていくと、ひどくこじれていく気がします。
とにあえず、40歳も近くなって「それを孤独と読んで世を憎み…」ってなったら正直イタいですよね(笑)
最低限、そうならないように、未来をじぶんの手で作っていく覚悟は持ちたいものです。
っというわけで「健康」については、
- 運動習慣を続ける
- 孤独に浸りすぎない
ということが今、老後のためにできることかなと。
老後対策③:情報
「情報化社会」なんて言われて久しいですけど、ほんと今の世の中は情報だらけです。(このブログもだけど)
そうなると、情報との付き合い方が社会との付き合い方そのものといっても過言ではないかもしれません。
もっか人類全体の課題なのはスマホ、ネット、SNSでしょう。
わたしたちの「可処分時間(ヒマな時間)」は今後、どんどん増えていくと思います。
今すでに通勤しなくなった人もいるし、労働時間を減らそうという動きは加速していく。
しかし!
その暇になった時間でなにをするか?それがQOL(クオリティ・オブ・ライフ)に大きく関わってきます。
なにせ老後ともなれば、さらに可処分時間は増えるはず。
SNS企業はその膨大な可処分時間をどれだけ食ってやろうかを日夜考え中です。
それは企業としてしょうがないことでもあります。
でもだからこそ、意識して情報(スマホ、ネット、SNS)と離れる時間を持たなければ、その企業の力学にせっかくの可処分時間が吸い取られてしまう。
「情報」を「お金」「健康」と並列で語るのは、いささか大げさな気がしますが、今の環境を考えるとすごく大事なこと。
おそらく情報をしっかり取り扱わなければ、お金も健康も揺らいでくるでしょう。
ベッドに寝転がってタイムラインを眺めることは、端的に言ってコンビニで写真週刊誌を立ち読みするのといっしょです。
そんな時間が1日に2時間も3時間もある人が、果たしてお金も健康も得られるのか!?
答えは明白だと思います。
極論ですけど、その2時間のうち1時間運動して、1時間副業したほうが、もうずいぶんとマシ。
わかりやすく「SNS2時間」を悪い習慣、「運動1時間、副業1時間」を良い習慣と定義づけましょう。
最初の1日は悪い習慣の人と良い習慣の人に差はありません。
ところがこれが1週間、2週間、1ヶ月、2ヶ月と続いていくと…。
その差は歴然と開いてくる。
そして今の習慣が将来の「老後」を作ると言って間違いないと思います。
なので、今から情報摂取のやりかたを整理整頓することは、すごく価値がある。
とりあえずわたしはスマホから「通知」と「タイムライン」をどんどんと削除していきました。
さらに「デジタル・ウェルビーイング機能」で利用時間を監視。
でもそれでもまだ、良い習慣をつくるためには足りなそう。
とにかくいちばん大事なのは、スマホから「かんぜんに離れる時間」をつくること。
よくミニマリストが断捨離するときに言うのが「収納を捨てろ」という話。
収納があることで、中になにか入れたくなり、結果モノが増えてしまうと。
これをデジタルに置き換えると、「収納」が「スマホ」ということになります。
スマホ内にタイムラインがなくても、通知がこなくてもスマホ(≒収納)が目の前にあることによって、いつまでも気になってしょうがない。
ならばスマホを断捨離すべきだ!
しかし…
現代ではスマホを捨てるのはちょっとむずかしいですよね(それこそ孤独になっちゃうか)
だから「かんぜんに離れる時間」を持つことが、現実的なデジタル断捨離なんだと思います。
とりあえず”意味もなく”デジタル断捨離するのをおすすめします。
これもミニマリストと同じで、捨ててみてはじめてすっきり感を味わえるものなので。
捨てる前は「必要かも」「もったいない」とかいろいろと考えちゃいます。
でもいざ捨ててみると、その開放感が病みつきなる!
同じようにスマホが”ない”ことの開放感や安心感はやっぱりやってみないとわかりません。
なので、とにかく機械的に、自動的に「かんぜんに離れる時間」を作ってみるのが大切ですね。
明日を生きる
ここまで長々と書いてきましたけど、一言で言えば「今を生きる」で事足りますね(笑)
しかしこの「今を生きる」という言葉は、「今がよければ、それでいーじゃん」に回収されるトラップがある。
そこでわたしが意識しているのは「明日を生きる」ということです。
「老後」という遠い未来は不確実性が大きすぎて、その不安からかえって日々の生活をおざなりにしてしまう。
逆にストイック過ぎて将来に楽しみを先送りにし、今をたのしむことをないがしろにしてしまうことも。
じゃあ「今を生きる」か?と言うと、それも悪習慣を開き直る言い訳になり得る。
そこで「明日」という近い未来にフォーカスします。
明日をより楽しく、より良く過ごそうとするならば、今なにをすべきでしょうか?
それは夜食を食べないで、早く寝ることですよね(笑)
それだけでもう、ひとつの良い習慣を手に入れたことになります。
そんな風に「明日を生きる」ことは良い習慣へと導く力がある。
「明日をちゃんと生きられるか?」を考えれば、働きすぎることも良くないし、遊びすぎることもよくないし、他人にかまいすぎることも良くないとわかります。
「今」よりも「将来」よりも、「明日」は近すぎず、遠すぎずで、ちょうどよい加減なのではなないでしょうか?
わたしは日々、この言葉を問いかけながらまいにちを過ごすように意識しています。
ミニマリストになる
一歩踏み出したい人のために「ミニマリストになるためのガイドブック」になる記事を書きました!
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