明確に友達と呼べる人は、高校時代からの腐れ縁であるTくんただひとり。
そんな37歳、独身男性のわたしです。
まぁほんとに友達が少ない!
これはもう昔っからの性分で、学生時代もクラスメイトみんなが連れ立って下校しているのにさっさとひとりで帰ってしまうような人間でした。
それでも若い頃はみんなヒマだから、それなりに友達付き合いはあったんです。
ところがイイ年になると、みんな子育てに仕事に忙しい!
しかも唯一の友達も、県外に転勤してしまった!
っというわけで、悠久の孤独を満喫する生活になっています。
けれど、それはそれで見方を変えればメリットがあるんじゃないかと思いました。
友達が少ないメリット4選
お金が貯まる
「いったいいくら使ってたんだ!?」
と、思うほど友人が減ると反比例してお金が増えていきます(笑)
単純に飲み会ひとつとっても、都内だと1回4,000円くらいなります。
「たかだか4,000円」と思うかもしれませんが、そうは言っても大きい。
そしてまた、人に会う時は「交通費」「被服費」も必要になってきますよね。
ですからじぶんが思った以上に、いちどの人付き合いにかかるコストって大きい。
節約のために友達を減らすのはどうかと思いますが(笑)、ひとりが好きな人はお金が余りやすいじぶんのライフスタイルをポジティブに捉えると良いと思います。
好きなことに没頭できる
わたしは今、フリーランスの文筆業で生計を立てています。
もし友達がたくさんいるキャラクターだったら、きっとこの商売はできなかったでしょう。
執筆作業は多かれ少なかれ、内省をともなう行為です。
だからひとりでじっと考えを巡らせる時間がどうしても必要なんですね。
もちろん執筆に限らず、まとまった時間を確保して努力を続けるのは、どうしたってひとりの時間が必要。
何かを成し遂げた偉人は、みんな孤独だったと言います。
例えばイチローさんとか「孤独」とか「孤高」のイメージが強い。
今なら大谷翔平選手も、野球以外のことに時間とお金を使わず、それだけを一心不乱に打ち込むことで有名です。
もちろん、わたしたちはそんな偉人になる必要はありません(笑)
しかしもし何かを成し遂げたいと思ったら、孤独を恐れずに突き進むべきなのは間違いないと思います。
逆言えば、友達が少ない人はその目標に向かっていくための必要条件をすでにひとつ満たしていることになる。
これは明確に友達が少ないメリットだと言えるでしょう。
健康を維持しやすい
人の悩みの8割は人間関係
なんてよく言います。
悩みとはつまりストレスで、ストレスとは健康を害するいちばんの敵。
友達が少ないとその人間関係の絶対量が少ないから、当然ストレスが発生する可能性も低い。
そしてひとりの時間が長いと体を鍛えたり、マイペースで食事ができたりと、健康効果の高いライフスタイルを維持しやすいです。
飲み会に行って、
「ごめん、糖質制限してるからササミの焼き鳥しか食べれないわ」
なんてなかなか言えないですよね(笑)
友達づきあいが少なければ良い感じに飲み会をチートデイにスケジューリングできるかも。
とは言え、わたしのようにめちゃくちゃ孤独はおすすめしません!
実は、
- 友達が少ない
- 家族も離れて暮らしている
- 仕事もひとり
というトリプルビンゴの孤独は、すごく健康に悪いんです(笑)
それこそ
孤独は喫煙と同じぐらい体に悪い
という研究結果もあるくらい。
逆言えば、友達が少ない人も家族、恋人、同僚など他の関係性で調整できるなら、健康を維持しやすいかもしれません。
なにごともほどほどが健康的ですね。
たまに会うと楽しい!
もう「話したいこと」がたまっちゃって(笑)
学生時代、ダラダラと友人の部屋に泊まったりして、まる二日ぐらい一緒にいた経験はないでしょうか?
48時間ぐらい一緒にいると、話すことなくなりますよね(笑)
むしろひとりで自分の趣味とか、体験したことこそ、友達としゃべりたいこと。
だから良い友人関係を維持するには、逆説的にひとりの時間が合ったほうが良いのだと思います。
「この前こんなことあってさー!」
という言葉があればあるだけ楽しい。
そのためには、友達が少ないことをクヨクヨしてないで、ひとりの今こそ楽しい遊びに積極的にチャレンジするほうが建設的ですよね。
友達が少なくても良い理由
それが当たり前だから
冒頭で話したとおり、人はだれでも中年になれば家族を持ち、職場でも中心になってくことがほとんどです。
だから、友達なんて少なくなって当たり前なんですね。
当たり前でどうしようもないことを、ウダウダと悩むのはちょっと情けない。
また学生時代においても、そう違いありません。
俯瞰して考えると、クラスメイトってただ同じ土地に生まれ、同じ年に生まれただけ。
ただそれだけでみんなと良い関係を作れるなんて、そんなの強引に思えませんか?
能力、感性、性格など友人関係を築く上でもっと重要なファクターは考慮されずに集められたのがクラスメイトです。
だからクラスメイトと友達になれなくても、それはなんら不思議ではなく、問題でもない。
学生時代は学校が世界の全てだし多感な年頃なので、友達が少ないことを責めてしまいがち。
まぁ、わたしが変わりモノなのかもしれないけど(笑)、クラスメイトは「運ゲー」だというのは一定レベルで事実。
だから肩の力を抜いて、それなりに学生時代を楽しみましょう。
多くてもどうしようもないから
友達100人できるかな?
と無邪気な歌がありますが、いや100人もいたら収拾つかないつかないよ!(笑)
人ひとり、1日24時間。
この世の全てにはキャパシティがあるわけで、それを超えることはできません。
たしかに友達が少なすぎるのは、辛いかもしれない(わたしのように 笑)
それでも「多ければ多いほど良い」っていうのは幻想でしょう。
これは「じぶんがそうしたい」というよりも「相手にそうされたい」と言うのが正確かもしれません。
わたしなら、友達が1000人いる人の1000分の一の友人になるより、10人いる人の10分の1の友人になりたいかな。
「じぶんのことを大切に思って欲しい」というのは情けない幼稚さですが、それもまぁ、とりたてて悪いことじゃないでしょう。
なんだかんだ、誰にとっても正直な気持ちだと思います。
むしろつながり過ぎだから
スマホとSNSによって、ひとりの友達とずっと繋がり続けることができるようになりました。
ひとつひとつの人間関係が「重く」なった。
だとすれば、それに準じて「数」が減ったとしても、それは自然な反応に思えます。
そしてまた、SNSから無限に人間関係を増殖させることも可能になりました。
わたしは文筆をやっていることもあって、ネットでの発信はよくします。(ブログ書いてるぐらいなので)
試しに
- 実名で
- 1年間
- X(ツイッター)で発信
してみてください。
めちゃくちゃ人間関係が広まりますから!
でも正直、たいへん…(経験談)
先に「多くてもどうしようもない」と言いましたが、油断すると多くなりすぎちゃう可能性があるのが現代。
それに今はもうSNSはビジネスの主戦場になっていますから、「個人の発信を経て同じ趣味趣向の人と繋がれる」というかつての発想はちょっと牧歌的。
こうなると友達は少ないくらいがちょうどいいと言えなくもない環境になったと思います。
ここまで友だちが少ないメリットや、それでも良い理由をお伝えしてきました。
一方で友達が少ないことは、やっぱり精神的なリスクもあるんです。
以下では、そのリスクを認識した上で、友達が少なくても健全に日々を暮らしていく心構えみたいなことをお伝えしたいと思います。
友達が少ない人の心構え【こじらせ防止】
社会や他人を恨まないこと
人は寂しいと攻撃的になります。
特に「寂しくなんかない!」とじぶんをごまかした時です。
寂しさが恨みに変わり、恨みが怒りに変わっとき、人はほんとうの孤独へと陥っていくのかもしれません。
じぶんでじぶんの寂しさを見つめるのは、ほんとうに辛いことです。
それでもその内省は、人付き合いをするうえでいちばん大切な「謙虚さ」を獲得するために必要なことだと思います。
人は怒る時、その人なりの正当性をもっています。
「みんなのため」とか「ルールと違う」とか「お金を払った」とか。
だからじぶんでも「寂しいから怒っている」ことになかなか気づけないんですね。
じぶんでは「正しいことをやった」と思ってしまう。
しかし実はその「正当性」が、寂しさの「言い訳」に変わっていることに気づけない。
寂しさを「寂しい!」と素直に叫ぶことはとてもむずかしいんです。
素直に気持ちを表現するには、謙虚さと強さがないとできないから。
レジでまごまごと小銭を支払う老人。
電車やバスで泣き止まない赤ちゃん。
もしそんな日常の何気ない、当たり前の場面でフツフツと怒りがこみ上げてきたら…。
じぶんの寂しさを、勇気をもって見つめてほしいと思います。
孤独を消費でごまかさないこと
寂しい時、人がとる行動は「怒り」の他には「消費」があります。
いろんなモノを買ったりするのはもちろん、ギャンブルやアルコール、タバコなんかもここに含まれるでしょう。
もちろん、ひとりの自立した大人が健全な予算内で楽しむ分には良いと思います。
しかしそれらの中毒性も認識しておくべき。
中毒とは、それをやるときに中毒以外の理由がなくなった状態。
その行為が楽しいとか、そんな感情もなくなってただ繰り返している。
そんな無味乾燥の時間は、人生でなるべく少ないほうが良いのかなと思います。
「ていど問題」と言えばそれまでですが、しかし世の中にはかんたんに「ていど」を飛び越えさせようとする仕組みがたくさんある。
じぶんが寂しさを抱えているという事実をよくよく認識して、そしてその寂しさにつけこむ仕組みがたくさんあることも知っておいてほしいと思います。
素直に自分磨きをすること
ダイエットやボディメイク、ファッションやコスメ。
それらの目的はいろいろあれば、「人に好かれる努力」という一面はあるでしょう。
人はひとりでは生きていけず、だから「寂しい」という感情が備わっている。
それならば、人に好かれる努力をするのは自然なことです。
ところがそうして真っ直ぐな努力をする人を、笑う人がいる。
それは誰か!?
何を隠そう、わたしたち寂しい人間です(笑)
そんなことをするのは、他人を見下すことでじぶんが上になった気分になれるから。
ところがそれは「気分」だけなんですね。
現実にはバカにしたはずの努力家のあの人はどんどん素敵になり、じぶんはゆるやかに劣化していきます。
そしてバカにした分、努力をかっこ悪いものと認識してしまうので、じぶんが努力するモチベーションが削られていく。
ひいては差が開けば開くほど、さらにバカにすることで自信を回復しようとうする悪循環に陥ります。
カッコいい人に素直に憧れ、じぶんも真似して努力を続ければ、少なくとも過去の自分よりカッコよくなれたはずなのに…。
冷静に考えれば「いちばんカッコいい人」になる必要はありません。(なれないし)
だから他人を見下したり、過度に崇めたりする必要はない。
それでも人を見下すというインスタントな自己肯定感の回復術に身を染めてしまうと…。
その瞬間、「じぶんも見下されているんじゃないか…」という世界観が生まれてしまい、ずっと人と比べることから抜け出せなくなります。
だからまずは「自分磨き」をバカにすることを止めないといけない。
友達が少なくて、さびしくて、辛い時。
そんなときだからこそ、寂しさに負けずにじぶんなりの一歩を踏み出すのが必要なんだと思います。
少ない友達を大事にすること
ちょっとここまでストイックで厳しいことを言った気がしますが、逆の立場になった時、
- いつもイライラしていて
- ギャンブル依存症で
- 他人をバカにしている
人が友達にほしいですか?(笑)
ちょっと困っちゃいますよね。
もちろんこれは極論なんですが、極論の方向へとジワジワ進んでいってしまっている例は少なくないように思います。
ここまで言ったように、寂しさは悪い方向へ向かうエンジンになってしまいがち。
でも、じぶんを大事にしてくれる数少ない友達のことを思った時、やっぱりその友達にとって、誇れる自分でありたいですよね。
それがその友達を大事にすることにつながると思います。
友達がつらくて泣きたい時、いっしょに泣けるように。
友達が間違った方向へ行きそうな時、背中でそれが間違いだと語れるように。
そのためには、なんだかんだで健全な精神と肉体が必要だと思います。
寂しさはじぶんを痛めつける劇薬にもなります。
でも寂しさ認めて、うまく使えば良い方向へと向かうモチベーションにもなる。
前半では「友達が少ないことはメリットがある」と語ってきました。
でもその理屈に安住することなく、人間らしい寂しさも素直に認めて、良い方向へとじぶんを導くきっかけになったら、うれしいと思います。