たまたま見つけた良さそうな商品。
「お!良いな。これ欲しい!」
そう思ってAmazonを開くと、意外と低評価が多くて…、
「う~ん、なんか買う気が萎えた…」
なんて経験はないですか?
家電やファッションアイテムのレビューならまだ役立つのかもしれませんが、ことさらに「邪魔だなぁ」と思うのはエンタメ作品のレビューです。
それも個人の主観ではなく、平均値を表したレビューですね。
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「☆」や「再生回数」に囚われずに楽しみたい
音楽を例にとって言うと、「再生回数」をもう見たくないなぁと思います。
今、音楽がいちばん聞かれる場はYouTubeです。
YouTubeには再生回数はおろか、グッド・バッド数、チャンネル登録者数、コメント数が可視化されています。
その音楽が「今キテるかどうか」がすぐにわかっちゃいますよね。
いや、世間の評価が気にならないわけではないんですよ。(むしろすごく気になっているからこんな気持ちになるのでしょう)
でもその前にまずは100%自分の耳と心でその音楽を評価したいんですね。
音楽と純粋に向き合う前に、数字という具体性があるようでない他人の評価の塊が目に飛び込んでくる。
その状況が煩わしい…。
そもそも再生回数が多い=良い音楽ではないはずです。
物見雄山でいちど見ただけの人も含まれていますし、Google広告をめちゃくちゃ投入した結果かもしれませんし…。
それでも数字のパワーは凄まじく、どうしても多い方が優越感を、少ない方が劣等感を抱くものだと思います。
まるで学生時代のテスト期間における教室のあのヒリヒリ感に似ているような。
ちょっと友人とギスギスしちゃったりして。
そんな数字の世界からオサラバしたいとずっと思ってきたのに、こんなに身近なインターネットの世界が数字だらけになるなんて!(笑)
あとはAmazonレビューももはやメンドクサイなぁと思ってきちゃいっています。
Amazonレビューはまず☆を入力するシステムですが、ある人にとって☆☆☆は80点でも、ある人にとっては40点だったりして、あんまり定義がはっきりしてないんですよね。
☆☆☆の人のレビューをよく読むと「いや、絶賛やないか~い」ということがけっこうあります(笑)
あとは☆で辛辣レビューを書いている人も、その人の過去レビューの一覧をみると☆ばかり…。
それってただのクレーマーですよね。
レビューの具体的な中身はさまざまななのに、そのレビューが100、200と集まってくると「平均値」が叩き出され、その評価を決定づけてきます。
でもやっぱり中身は様々なので、高評価のものが必ずしも自分に刺さるわけではないという…。
自分の頭で考えるより先に、他人の評価が飛び込んでくる
「そんなもん自分を強く持って、自分で考えれば良いだろう。
レビューを無視すれば良いだろう」と言われたらその通りのなのですが、ただそれができにくい環境が今だというのがわたしの考えです。
敬愛する甲本ヒロトさんがこんなことを言っています。
甲本 僕らみたいなバンドがいてもいいんじゃないかと許してくれればそれでいいです。もう本当に威張って中心にいようとかも思わないし。観たい人にだけ観て欲しいし、聴きたい人が聴きたいだけ聴いて欲しいし、それを誰にも邪魔させたくないし、僕らとその人達の間を。そういう気持ちのいい現場であると思いますよ、今はhttps://news.yahoo.co.jp/byline/tanakahisakatsu/20171011-00076770/
作品を視聴する時、クリエイターと1対1で向き合えたと思えたときに最高の感動が生まれると思います。
少なくともわたしの人生ではそうだったように思うのです。
その感動は、もしかしたら茶道の世界に近いのかもしれません。
お茶とはありふれた日常のモノですが、茶室の中で作法にのっとり、人と人とが向き合うことで特別な感動が生まれてくる。
音楽にも作法があるのかもしれませんね。
甲本ヒロトさんは今、クロマニヨンズというバンドをやっていて必ずレコードをリリースしています。
レコードを聴くにはパッケージを開いて、プレイヤーにセットして…という一連の所作が必要です。
実はその所作が、茶道でいう作法のように機能しているのかもしれません。
そしてもちろん、そこに「他人のレビュー」とか「みんなの感想」なんてものが入り込む余地はないわけです。
アナログに撤退するか、茶室的デジタルをつくるか
そんな風にものごとを楽しみたいと思った時、今なら2つのやり方があると思います。
- アナログのものを消費する
- 茶室的デジタルを作る
ネット記事ではなく本を、YouTubeではなくレコードを選ぶことで、少なからずレビューに邪魔されない視聴環境を得ることができるでしょう。
わたしももっぱらアナログ形態を選ぶことが多くなってきました。
ただ…そうはいってもわたしもまだ34歳。
これからまだまだありそうな人生、デジタルとの付き合いはやめられません。
そうなった時、デジタルの世界に「茶室的空間」を作りたいと考えるようになりました。
また敬愛する人の言葉を紹介させてください。
元ブランキージェットシティの照井利幸さんのブログから↓
じゃあ次はこの音を誰かに聴かせたいなぁって思う。
とてもシンプル、ただそれだけで幸せなんだから。
しかし、それを生業にすることで大きく変化する。
ここからが俺の苦手とする領域。
それを苦ではなく楽に変える方法はないかと考えたら意外と答えは簡単だった。
しかもインターネット社会の今だからできる事だった。
自分の世界を詰め込んだ箱をネット内に作りそれを覗きたい人たちがアクセスし欲しいものを得る。
当たり前のことだが今まで頭ではわかっていても実感できるほどネットの世界に依存していなかったから仕方がない。
その箱にやりたい事や作りたいもの、独り言や伝えたい事などを好きなだけ詰め込めばいい。
照井利幸の頭の中をそこに具現化する。
興味を持つ人、そうでない人、それらについてはもはや関心がない。
必要以上にアピールする必要もなくいつでもそこに存在する世界を提示したい。
自己顕示欲が旺盛なこの世の中では消極的なのかもしれないが何はともあれ俺にとってのやりがいがありそこを訪れる人たちに何かしらの有益な意義があればすべてAll rightだよな。http://www.weld-music.com/blog/1957(←元記事は削除されました)
SNSやYouTubeから離れたレガシーな「ホームページ」とか「個人サイト」といったもの。
そこに「茶室的デジタル」の可能性を感じます。
実はこのブログも「数字」は極力排しています。
はてなブックマーク数や読者数…ツイッターのシェアボタンなんて消しちゃっていますからね(笑)
ただシンプルに文章を受け取って欲しいですし、同じようにネットの世界に煩さを感じている人が安心して読めるならうれしいからです。
照井さんも言っているように、消極的かもしれませんが、それでも自分の好きなことを大事にしたい。
そして実は「好きを大事する」それこそがネットの醍醐味だと思うからです。
もっと若いころに憧れたネットってやつはそんな感じだったんですよね。
そんなわけで、「レビュー疲れしてます」という話題でした。
同じように他人の評価に疲れている人に「同じだよ~」っとメッセージが届けば嬉しいです(笑)