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進撃の巨人34巻(最終回)を読んだ感想。凡人の物語だから、好きになる【ネタバレあり】

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別冊少年マガジン2021年5月号で完結した『進撃の巨人』

わたしもずーっと追いかけてきました。

 

コミックス派だったので、今日までネタバレを見ず我慢。

で、やっと読むことができました…!

 

いや〜、すごかったですねぇ。

「おもしろかった」のはそのとおりですが、やっぱり「すごい」作品だと思います。

 

この記事では、最終回を読んだ感想を書いてみます!※ネタバレを多分にふくみます。最後まで読まれるてからこの記事を読むのをおすすめします

主人公は一貫して凡人だから、共感してしまう

主人公のエレンは最初、 巨人になるという特別な力をもって登場したように見えました。

しかし、自分自身なんどもその力を持て余し、制御できず、後悔と懺悔に悩まされます。

 

取り乱すし、ブチ切れるし、泣き叫ぶし、極めて凡人。

最終的に「地ならし」の道を選び、とてもじゃないですが、おおきな力に見合う人間だったとは言えないでしょう。

 

対して、エレンの幼馴染のミカサとアルミンは非凡な存在として描かれています。

 

ミカサは驚異的な身体的能力と深い愛を持ち、アルミン大きな夢を見る想像力と高い知能を持っていました。

実際に人類を救ったのこのふたりです。

 

終盤、「道」に飛ばされたアルミンは、絶望的状況に追い込まれながらも

何か…ここでできるかもしれない そうだ 考えろ 考えろ!!

と常に新たな可能性を模索する力がありました。

 

この姿勢がもし始祖の巨人を持ち、人類大虐殺に向かうしかなかった(と思われる)エレンにあったなら…。

わたしはそう妄想してしまいます。

 

始祖ユミルの「愛の呪縛」からの開放が、人類の巨人からの開放だったのだとするのなら、もっと他に方法があったように思います。

 

エレンが虐殺以外の道を選ぶことができなかったのは、能力が足りなかったこと以外に本人が、

…何でか わかんねぇけど… やりたかったんだ… どうしても…

と言うように、いわばサイコパスだった面もあるからでしょう。

しかしわたしはこのサイコパスも、ちょっとわかってしまうところがあるんですね。

いや、「地ならし」をしたいわけじゃないですよ(笑)

 

エレンは執拗に自由を求め続けます。

その気持ちにほとんど理由なんてありません。

 

そしてその気持ちは、田舎で生まれ、上京してきたわたしにもありました。

どのくらい自由を求めていたかと言うと、大学を卒業して就職せずにロックバンドをやったほどです(笑)

 

どこかで聞いた話によると、新卒で就職しない人の割合は1%だとか。

自分から進んでフリーターになるやつなんてもっと少ないでしょうから、割合的にまぁまぁサイコパスでしょう(笑)

 

もちろん、バンドの道は挫折。

エレンの「地ならし」も無念のうちに選ばざるを得なかったことを考えれば、それは挫折だと言えるのではないでしょうか。

 

『もっと!ドーパミンの最新脳科学』という本によると、人にはドーパミンという「まだ見ぬ世界」を目指す本能がもとから備わっているとあります。

関連記事:『もっと!愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』を読みました。「想像」のドーパミンと「今ここ」のH&N物質

 

壁があったら、その向こうに行きたい。

それは人間の素直な本能です。

 

それで言うと、エレンはドーパミンが極端に強い存在として描かれていますよね。

そしてドーパミンはわたしにもあるし、誰にでもある。

 

だからエレンは最終的には極悪非道の存在であり成りながらも、わたしは確実に自分の中にも「エレン」がいることを自覚せざるを得ません。(っというか、実際にわたしはそれなりにマイノリティの人生を歩んだので、周りの人を傷つけたこともあったでしょう)

 

作中の言葉を借りて言えば、

そしつは俺の中にもいる

カヤの中にも 誰の中にも

みんなの中に悪魔がいるから…

世界はこうなっちまったんだ

わけです。 

愛と自由を超えて、親切心を

自分の中の悪魔を自覚しつつも、現実には悪魔のような行動をとっていはいけません。

行き過ぎた自由が破壊的な行為を生むのなら、その対抗軸は?

 

一見して進撃の巨人では、それは「愛」だと結論づけているように読めます。

最終巻では、始祖ユミルの初代フリッツ王に対する愛が、一連の悲劇の起源だということが明かされました。

 

その「愛の呪縛」は、現代に置き換えると「DV彼氏に逆に依存してしまう彼女」のよう。

完全に「間違った愛」です。

 

呪縛から開放されるために必要だったのが、エレンを愛しながらもそれを自らの手で断ち切るミカサの姿だったと。

 

しかしエレンを切ったミカサの思いは「愛」だったのでしょうか?

わたしにはそれは「親切心」に見えます。

 

一流のホテルマンは、例えばルームサービスで過剰にお酒を要求された時、断ることがあるそうです。

それはお客様を自分の家族と置き換えて、体をいたわるから。

 

本来、お客様のことをなんでも叶えるのがサービスだと思えます。

しかし、先を見越してサービスするのが一流のサービスマンだし、それは愛というよりも親切心だと。

 

親切心とは、その言葉の通り”親”を”切る”ような厳しさを求められます。

ミカサもパラディ島の新生エルディア国の一員。

 

自分の都合だけを考えるなら、エレンの「地ならし」を止めずにエルディア以外の人類を消し去って、新生帝国の王と王女になったほうが得なはず。

けれど、ミカサはエレンを切ることを選びました。

 

「地ならし」という最悪の結果は、過剰な自由を求めたエレンと、過剰な愛をもった始祖ユミルが悪魔合体した結果だと言えます。

ミカサはそのふたりを甘やかさずに、実際に「切る」描写でもって、親切心を表現しているように見えました。

 

「自分の中にもエレンがいる」と言いました。

だとすれば、親切心をもったミカサも、ちゃんと自分のなかで育てていく必要があるのでしょう。

なぜかブランキージェットシティの歌詞を思い出してしまう

ところで、進撃の巨人を読んでいると、わたしが昔からファンのブランキージェットシティの歌を思い出してしまうんですよね。

 

「綺麗な首飾り」という歌の歌詞↓

どうにでもなればいい こんな世界なんて

むちゃくちゃにしてしまえ すべてを 焼き尽くしてしまえ

無邪気な顔して 眠る子供の夢は 恐ろしい物語

でも決して汚れてはいない

 

エレンは「恐ろしい物語」の主人公でしたが、その本当の思いはミカサをアルミンを守りたいから。 

それは「決して汚れてはいない」とも思えます。

 

また「自由」という歌では、

君は一人 街を歩くよ 咲き乱れる 黒い自由

見渡す限り何もない 真っ白な雪の草原を思い浮かべながら

いつの日か 頭を撃ちぬいてほしい 君の愛で

何も言わず 頭を撃ちぬいてほしい 君の愛で

後からそっと どこまでも続く この道の途中で

 

「黒い自由」をエレンのような「行き過ぎた自由」だと解釈すれば、エレンがミカサに対して抱いた思いは、まさに「頭を撃ち抜いてほしい 君の愛で」 といったことだったのではないでしょうか。

 

…まぁ、マンガを歌詞で説明するのは、なんだか料理を料理で例えるようなカッコ悪さがありますが(笑)

ただこのように考えると、歌もマンガも理解が深まる気もするので、参考になったらうれしいです。

 

『進撃の巨人』はまだまだ語れる名作でしたが、キリがないのでこのへんで。

読んでくれて、ありがとうございました!

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