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「むなしさ」が人生で最大の敵。無性にむなしい時、どうすべきか?

わたしは30代半ばになって「むなしい」という気持ちが強くなってきた気がします。

虚しい、空しい…。

 

人にはいろんな気持ちがありますが、この「むなしさ」が実はいちばん辛いのではないかと思うようになりました。

むなしさは何も生まない

「苦しみ」は「喜び」の反動として機能することはないでしょうか?

「あの苦しみがあったらから、今の幸せがあるな」

そう感じることは多いのではないかと思います。

 

苦しかったからこそ、喜びがある。

スポーツや勉強など、苦しみからの喜びという感情のジャンプアップは誰でも経験すると思います。

 

しかし「むなしさ」の反対側にある感情はなんでしょう?

それはやはり「むなしさ」であるように思います。

「むなしさ」は「喜び」すらも包み込んでしまう感情に思えるのです。

 

喜びは気づけばそこらじゅうにある。

今、健康でいられること。

それなりに好きなことでご飯が食べれていること。

信頼する人がそばにいること。

 

月並みですが、当たり前のことが本当に幸せだし、喜ぶべきことです。

わかってるんです。

頭では。

 

ところがふと「むなしさ」がそのポジティブな喜びを包み込んでしまうことがあります。

なぜ「むなしい」と思うのか?

わたしがむなしいと思う時は「がんばってもしょうがない」と思うときです。

30代も半ばになると、世の中で同じようなことが繰り返されるのを幾度のなく目撃することになります。

 

政治やエンタメ、人間関係においても人は同じ失敗をなんどもなんども繰り返しているように見える。

同じところをグルグル回っている。

そう感じると「結局わたしが何かをやったところで、世の中は何も変わらないのでは?」

そんな感情が沸き出てきます。

 

いや、よくよく観察すれば同じところを回っているように見えて、角度の浅い螺旋階段のように少しづつ少しづつ昇っていっている。

人類がこの地球で歩き出した時、死因の50%は殺人だったそう。

それが今や人によって死ぬ人はほんの数パーセントにしか満たないとか。

 

時間軸を千年、万年と伸ばせば確かにわたしたちは良い方向へ上昇しているように見えます。

そんな前向きさは確かにあるでしょう。

 

しかしここでもまた「むなしさ」に襲われるのです。

歩みが遅すぎるから。

 

わたしが生きている間に、きっともっと良い世界にはならないだろうと思ってしまうのです。

むなしい時、どうすべきか?

そんなとりとめのない、しかし確実につらい感情が歳を追うごとに増えてきている気がします。

気力と体力が目減りしていく中で、それはたぶん、しょうがないことなのかもしれません。

 

それでもひょんなきっかけで「むなしさ」から解放され、ふっと前向きな気持ちが沸き上がってくることがあります。

それは早起きして抜けるような青空の下で日差しを浴びた時だったり、友人ととりとめのない話をした時だったり、またブログに熱中する瞬間だったりします。

 

思うに「むなしさ」とは思考にとらわれ過ぎた時に、生まれる感情なのかもしれません。

思考ではなく、感覚の世界。

例えば体を動かして筋肉が疲れるとか、温泉に入って肌が熱いとか。

感覚の世界で脳のリソースが使われるとき、人は「むなしさ」を感じることができないのかもと考えています。

 

ステイホームが叫ばれる中で、そういった感覚を動かす機会が少なくなっていますよね。

だから余計に「むなしさ」が襲ってくるのかもしれません。

 

わたしの敬愛する浅井健一さんの歌にこんな歌詞があります。

冬を間近に迎えた森の木々

赤く染まって 風に飛ばされた

砕け散る日差し 透き通っているよ

リスも冬支度 急ぎ足で

どうして冷たくなっていくのだろう?

彼の瞳が そう問いかけたら

僕はやさしく 手を差し伸べるさ

リス/Blankey Jet City

なぜこんなことをブログに書いたかと言うと、それは自分なりに「手を差し伸べるさ」という行為だからです。

日本のどこかできっと同じように「むなしさ」を感じている人がいることでしょう。

 

だけどこんな気持ちは、日常生活ではどう表現したら良いのかわからないはずです。

むしろ口に出すのも憚られるほど、暗い話題ですよね。

 

けれど、ブログならば言える、

その人に「ひとりじゃないよ」と言えることがブログのすばらしさだと思うからです。

 

そうしてここまで書いて、わたしも少し「むなしさ」から解放されたように思います。

もうひとつ、わたしの好きなエミリー・ディキンソンの詩を紹介します。

一つの心が壊れるのをとめられるなら
わたしの人生だって無駄ではないだろう
一つのいのちの痛みを癒せるなら
一つの苦しみを静められるなら

一羽の弱ったコマツグミを
もう一度、巣に戻してやれるなら
わたしの人生だって無駄ではないだろう

 エミリー・ディキンスンは生涯にわたって、孤独に詩を書き続けた人です。

生前はわずか10編の詩しか発表しなかったそうです。

 

それが没後になって、たくさんの詩が発見され、今ではアメリカ最大の詩人のひとりとまで言われるほど、歴史的な詩人になりました。

少しスケールが大きすぎですが、ブログを書くことも似たようなロマンがあります。

 

ガラス瓶に詰めた手紙を海に流すように。

風船につけた手紙を空に飛ばすように。

 

いつかの誰かに届くように書けるのがブログのおもしろさですね。

そして誰かの役に立ったのなら、それは決して「むなしい」ことではないはずです。

 

まぁ、少しロマンチックすぎる気がしますが、それでも良いんです。

自由に書けるブログなんですから。

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