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古賀史健さん『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』を読みました。ライターの誇り高い仕事がここにある

古賀史健『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』の表紙

嫌われる勇気の共著者としても知られる古賀史健さんが書いた「ライターの教科書」です。

 

教科書と銘打っておきながら、実はその内容は極めて主観的。

とりわけ古賀さん自身がそうである「本を書くライター」にこだわった内容になっています。

そしてエンターテイン(お客さんとたのしませること)を重視しています。

 

ですから、ライターを名乗る人が読んでも、もしかしたらぜんぶがぜんぶ役立つわけではないかもしれません。

ところがライターですらない、一介のブロガーであるわたしが読んだ感想は「これは役立つ!良い本だ!」でした。

 

なにせ476ページの大ボリューム。

おそらく文筆を生業とする人なら、小説家であろうが、エッセイストであろうが、雑誌ライターであろうが、何かしら役立つ部分や共感する部分があるはずです。

そしてまた、この本はただそのボリュームでもって、底引き網のように何かしらかをひっかける程度の本ではありません。

 

幅があるだけでなく、ひとつひとつの章に深さも感じます。

古賀さんの主観が多分に含まれているからこそ、逆説的に普遍性を獲得している。

 

作品に普遍性を宿したいと願った時、ふたつの方法があると思います。

 

ひとつは横に横に、ものごとをの幅を広げていく方法。

 

これはいわばヒットを求めて、最大公約数を狙う態度に似ています。

 

もうひとつはものごとを深く深く掘り下げる方法。

その道中はとっても孤独ですが、それに耐えて掘り進めていくと、いつしか地球の裏側に出ちゃいます。

そうして穴から出た先で人々と手をつなぐ。

 

これは分野の違う天才同士の意見が、しばしば一致する現象に似ています。

実は深くほっていくほうが、より遠くに届いたりするんですよね。

 

この本には、その両面があると感じました。

だから「本を書くライター」だけでなく、多くの文筆家にとって読む価値のある一冊になっていると思います。

 

 

ライターとしての努力がわかる

この本のもっともユニークな点は、古賀さんがライターとして歩んできた「努力の足跡」が読めること。

多数のヒット作を世に送り出したライターは、いったいどんな風に仕事に取り組んできたのか?

 

そのような疑問を持って読みすすめた時、ズバリ答えを提示してくれます。

わたしは古賀さんの努力、その頂きの高さにたじろぐ思いがしました。

 

特に3部構成の冒頭「取材」の部分です。

古賀さんにとっての取材とは「学び」なんだと思います。

 

その学びの量は、わたしが想像するよりもずっと多かった。

これだけやらないとダメなのか…と。

 

きっとどんな分野のライターでも、古賀さんのように仕事を取り組める人はそう多くないでしょう。

本の中でも語られていることですが、ライターの定義に「お金を稼いでいるかどうか」を入れるのは、似つかわしくない世の中になってきました。

 

インターネットのおかげで、書いて稼ぐ可能性が広がったからです。

何を隠そう、わたし自身がブログを使って、誰それに構わず文章を書いて生計を立てています。

 

つまり古賀さんほど真剣にライター(文筆)という仕事に向き合わなくても、お金を稼げてしまう、食べて行けてしまう。

その希望でもあり、甘えでもある環境が、わたしの文筆家としての成長を妨げている面もあるかもしれません。

 

でも一方で、わたしだってお金さえ稼げればそれでOKと考えているわけではなく「少しでも良いものを創りたい」というシンプルな欲求をもっています。

まさにその欲求から、この本を手に取りました。

 

そして結果的に古賀さんの努力の足跡を知れたことは、とても良かったと思っています。 

その努力はわたしにとって、ひとつの指針になってくれました。

 

まったく同じ努力をするかはわかりません。

っというか、たぶんできないでしょう。

 

わたしはブログが好きですし、本を書く予定もありません。

しかし「同じように取り組む」ことはする気がします。

 

古賀さんの努力をわたしの執筆活動に充てがうことは十分に可能に思えました。

例えば、ブロガーにとっての取材とは「日々の体験」です。

 

それは自分自身への取材と捉えることができるでしょう。

また執筆のパートで紹介されている「起転承結」の考え方は、まさにブログにこそピッタリ。

 

この本を片手にわたしも自分自身の努力の足跡を残していきたいと考えています。

「翻訳」はおもしろい

古賀さんは「ライターは翻訳者である」と言います。

この場合の翻訳とは、専門家と読者(=大衆)の間に立ち、専門知識を読者にわかりやすく伝える行為のこと。

 

これを読んで、わたしはすぐ「お笑い」を思い浮かべました。

とりわけ「アメトーーク!!」です。

 

知っている方も多いと思いますが、アメトーークはときどきマニアックな趣味をテーマに取り上げます。

けれど、決してマニアだけが楽しめる番組にするのではなく、広く大衆も楽しめるように仕立て上げる。

 

その時、芸人さんたちがやっていることがまさに「翻訳」でしょう。

そしてわたしはこの意味での翻訳行為は大好きです。

 

まだ知られていないコンテンツが、みんなの目に触れていきいきとしだす時、興奮を覚えます。

 

もしかしたら、わたしはライターにも向いているのかも。

それはこれから執筆活動を続ける上での希望にもなりました。

 

お笑いとはエンターテインの最たる(極端な)例ですよね。 

だから本書で語られている翻訳を理解する時、「お笑い」が良い補助線になってくれるかもしれません。

良い読者になろう

古賀さんは良い読者になろうと、重ねて強調しています。

読者である自分がちゃんと存在していれば、自分の書いた文章に対して厳しくなれるからです。

 

一流のミュージシャンが耳が良いように。

一流の料理人が舌が良いように。

 

アウトプットに優れた人は、みな解像度の高いインプットができる人。

だからこそ、自分がアウトプットした作品に対して、厳しく正確に批評できる。

 

インスタント食品をむさぶっても、やはり舌の感度は萎えていきます。

ちゃんと作られた料理を味わって食べるからこそ、鍛えられるはず。

 

文筆家にとってインプットとは、やはり読書になるでしょう。

しっかりと味わいながら読む体験を増やすことで、文章に対する批評眼も養われていくはずです。

 

とりわけSNSで生まれては消えていく「インスタントな言葉」ばかりに触れていてがダメ。

できることなら一流の料理人が、その技術を結集して作ったような言葉を食べるべきです。

 

そんな言葉は、そんな本は、どこにあるのか?

実はそれこそがこの本『取材・執筆・推敲』だと思います。

 

この本こそ、プロが丁寧に作った料理です。

その意味で、この本はかくも教科書的。

 

内容はもとより、ライター1年生が最初に食べるべき文章が、この本には書かれています。

そしてその要望に「受けて立つ」と言わんばかりの強い気持ちが、間違いなく込められています。

 

帯にある「100年後も残る「文章本の決定版」」という言葉。

100年の耐久性を見据えたようなしっかりした装丁。

 

教科書であろうと、教科書になろうと、凛と立つ姿がそこにはあります。

そしてまた、挑戦的で野心的とも言えるその態度こそ、この本の醍醐味でもあるかもしれません。

 

文筆家にとって味わって損はない逸品です。

ぜひ読んでみてください。

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