2020年の春にTwitter(現X)をやめて4年が経ちました。
最盛期は、
- note
などを併用して使っていた時期もあります。
現在はPinterestに自動投稿(ブログ内の画像)される以外は触っていません。
結論から言うと、
「本当にやめてよかった」
と思います。
この記事ではわたしがSNSをやめようと思った理由と、やめてからの変化をご紹介します。
SNSをやめようと思った理由
①ツイッターに貢献したくないから
わたしの感覚では2017年からツイッターのアルゴリズムが変化しました。
それまで「〇〇食べたよ〜」なんて牧歌的なツイート(ポスト)もフォロワー数に応じてそれなりにいいね!が付いていた。
ところが2017年頃のあるタイミングを境に激減。
ツイッター社は2017年9月期にはじめて営業利益が黒字化しています。
おそらくそのタイミングで、広告のインプレッションが増えるようにアルゴリズム、UI・UXを改変したからでしょう。
その結果、全体的にビジネス寄りの投稿が増えた。
さらにnote、オンラインサロン、仮想通貨(Valu)など個人の影響力を現金化するプラットフォームが出揃いってきたのが2017年です。
ツイッターでフォロワーが増えれば、それらのプラットフォームにファンを引き連れてビジネスを展開することが可能になりました。
内部、外部の環境の変化から、より数字にこだわったツイートが目立ち始めたのがこの頃です。
そうしてSNSの内外問わず、「バズる」ことを目指して、あらゆるコンテンツが作られるようになっていった。
そんな中、2020年の5月に恋愛リアリティショーに出演していた女性がSNSでの誹謗中傷を苦に自ら命を断つという事件がありました。
当時、このニュースを見て「これはSNSのビジネス化の末路だ」と、わたしは感じました。
若者を祭り上げ、叩く。
その結果、数字を稼ぎ、お金を稼ぐ。
端的に言ってこのいじめビジネスには、SNSが欠かせません。
ツイッターにアカウントを作り、ツイートするということは、少なからずそのビジネスに貢献するということ。
またツイッター社はこの状況を認識しているにも関わらず、野放しにしています。
2024年現在でも、解決できていないと思います。
それは個人的に容認できないことでした。
むしろ勢いを増すSNSは、
国民の 国民による 国民のための写真週刊誌
になったと言っても、決して過言ではないでしょう。
②ツイッターで成功できそうにないから
一方でツイッターはブロガーであるわたし自身のビジネスの拠点でもありました。
しかし先ほど言ったようにアルゴリズムの変化があったため、単純な情報提供だけでは戦えなくなった。
叩くか、叩かれるか、どちらかにポジションを取らないとビジネス的な成功も難しくなりました。
如何に上手にいじめるか、あるいは自らすすんでいじめられっ子になるか。
この選択は自分にとってすごく苦しいこと。
そして恋愛リアリティショーと同じくやめるきっかけになったのが、100日後に死ぬワニです。
率直に言って、わたしはあの作品が好きではなかった。
一方で、あれ以上に秀逸な作品はないとも思います。
「100日後」という目標をフォロワーと共有し、盛り上がっていく。
そのアイディアはSNSというプラットフォームの特性を120%いかした手法です。
しかし理由はさておき、好きではない作品がツイッターの世界でナンバーワンコンテンツになった。
「もう自分の感性が、この場所とは合っていない」
そんなことをぼんやり感じたのを覚えています。
③人と比べてしまうから
そんなSNSの世界でも影響力を増し、成功していく知人、友人もたくさんいました。
それを見て焦燥感や嫉妬心を感じないはずがない。
SNS企業は、他人と自分を比較する人間の自然な本能を利用して、コンテンツをユーザーから引き出すことを目標とした企業です。
比べることを促される環境に身を置きながら「比べない」なんて、まるで修行僧。
解決方法は、そこから離れること以外にありません。
見る側としては大なり小なりのゴシップを見て落ち込む。
それはミニマリズムとはかけ離れた感情です。
作る側としては「これでいいのか…」という疑問を持ちながらも作る。
それはブロガーとして、とても苦しい作業です。
こうなると、もはや続ける理由を見つけるほうが難しい。
SNSをやめて良かったこと3選
①ゴシップを見るのが減った
SNSでゴシップに接触することが減ったため、ゴシップを見ない爽快感を実感。
それは同時にゴシップに対する嫌悪感も生み出します。
そうなると、テレビや雑誌、ネットニュースなどあらゆる媒体でもゴシップを削除したくなります。
結果、テレビを捨てたり、ネット上でもコメント欄を見ないように工夫するようになりました。
関連記事:【ミニマリスト】テレビを捨てて、NHKを解約しました!注意点などの体験談
②自分と他人の境界線ができた
そうやってゴシップ=他人との接触が減ると、
「自分は自分、他人は他人」
という気持ちがだんだんと強くなっていった気がします。
わたしたちは社会に貢献して生きていく動物であり、他人から恩恵を受けているのは間違いありません。
だからこそ、ポジティブな気持ちでまずは目の前のヒトとモノにていねいに向き合っていく必要があるでしょう。
そのためには自分と他人の境界線をきっちり引いて、大人らしい自立心が欠かせないと思います。
そうした自立心を育む習慣は、SNSからは生まれません。
SNSをやっている人はみんな依存型人間!とか言いたいわけじゃない(笑)
ただ大人になるために必要なことは、そこにはないと思うのです。
少なくともSNSばかりではなく、他のことで自分で自分をつくることが必要だと思います。
③時間が増えた
言わずもがな、SNSに投資していた時間が自分に帰ってくる。
わたしはここ最近、スポーツジムに通っています。
それはやっぱり時間があるからできること。
ただ増えた時間をあまりに有意義に使おうとしないことも、大事なことでした。
そもそも何でもかんでも有意義にしようするのが、なんともSNS的思想だと思いませんか?
有意義=他人の称賛(つまりいいね!)になっており、自分で行動を選んでいるようで、他人に選ばされている。
それではせっかくSNSをやめた意味も薄れてしまいます。
だからといって、反骨的に「じゃあ、無駄なことしよう!」ではありません。
あくまで自分の心の中から出てくる「やってみたい」に従うこと。
それが強い自分や善い自分を作ってくれると思います。
結果として、強い自分や善い自分は、周りを幸せにするはずです。
これからSNSを使う?
否定的なことばかり言ってきましたが、今後SNSを使う可能性はまだあると思います。
ここ最近では、新しいSNSとしてThredsやBlueskyが登場しましたね。
それらがかつてのSNSとは違い、ユーザーが見たいものをちゃんとコントロールできるのなら、試してみる価値はあると思います。
特にBlueskyは分散型サーバーを採用しており、ユーザーが主導権を握ることを期待されています。
またXも経営者がイーロン・マスクになって以降、さまざまな実験が行わいます。
今ところポジティブな変化は見られませんが、変化そのものは歓迎すべてきことだと思います。
とは言え、ファーストペンギンを狙ってすぐ試すことはしない予定です。
じっくり検討して、見定めて、必要とあらば使う。
ミニマリストのモノ選びのように、情報も取り扱っていきたいと思います。
っというわけで現状は「今後、SNSをつかつ可能性はある」としつつも、その可能性は5%を切るようなイメージです。
必要十分で、生きていく
わたしのこういった考え方は、ミニマリストから大きく影響を受けました。
情報や知識だけじゃなく、なんに対しても増やし過ぎの処方箋になります。
ミニマリストに興味を持った人のために、
ミニマリストのガイドブック
を書いたので読んでみてください。
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ミニマリストの始め方、続け方。
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関連記事:ミニマリストになるには?ステップアップガイドを実践者が紹介