「スランプだ…」
そんなものづくりに行き詰まったクリエイターに贈りたい、名言や詩をご紹介します!
わたし自身、文筆業を生業にしています。
日々の創作の中で壁にぶち当たった時、なんども読み返している言葉です。
つくる、つながる、とどける
これはnoteというウェブサービスのキャッチフレーズ。
この言葉はわたしたちのような文筆業を生業とするうえでの本質です。
その本質をシンプルに表現してある素晴らしい言葉だと思います。
つくって、つながって、とどけることさえできれば、クリエイティブでご飯を食べていける可能性がひらけます。
家事が頻発していた江戸時代、商人たちの間では「顧客名簿だけはもって逃げろ」という格言があったそうです。
これは、とりわけ「つながる、とどける」がどれだけ大事かを物語っているエピソードですよね。
noteはまさに、
- 誰でも記事や写真を投稿できる(つくる)
- フォロワーの概念がある(つながる)
- フォロワーに新しい作品を発信できる(とどける)
サービスなんですね。
別にnoteを使わなくても、フリーランスにとってこの3つを意識することはすごく大事。
逆にクリエイターとしてうまく言っていない時は、この3つをチェックすべきかもしれません。
やさしく、つよく、おもしろく
糸井重里さんが代表をつとめる株式会社ほぼ日の社是。
曰く、
まずはやさしさが大事だと、けれどやさしさを守るためには強さが必要。
そして強いものはおもしろくいることが大事。
わたしはクリエイターとしていつも健全性について考えます。
人を騙していないだろうか?
社会の役に立っているだろうか?
だれかが悲しんでいないだろうか?
「やさしく、つよく、おもしろく」はわたしたちの仕事の健全性をチェックする時に役立ちます。
そしてまた、さっきのnoteのキャッチフレーズとつなげるとおもしろい。
つまり「やさしく、つよく、おもしろくつくり、つながり、とどける」
この1行でクリエイターの仕事をすべて言い切ってしまっている気がしますし、そんな風に働くのが理想だと思っています。
関連記事:糸井重里さんの本『ほぼ日刊イトイ新聞の本』書評。純粋なインターネットの夢を突き進む本
難しいことを簡単に、簡単なことを深く
これは元ブルーハーツ、現クロマニヨンズのマーシーこと、真島 昌利さんの言葉として有名です。
わたしもマーシーがきっかけで知りました。
しかしこの言葉には実は元ネタがあるらしく、もともとは井上ひさしさんの、
むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに
という言葉だそうです。
特に「まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」が良いですよね。
まじめなことは時に深刻になってしまいます。
だから愉快にして、みんなが楽しめるようにする。
しかし愉快なことは行き過ぎると、悪ふざけになります。
だから「あくまでゆかいに」愉快の範疇におさまるようにしよう、と。
この言葉は、いつもブログを書く時に意識しています。
ブログとかライター業はまさに「難しいことを簡単に」表現する仕事です。
しかしかんたんなことは表層的になってしまう。
だから深くしなければいけない。
この言葉にのっとってものづくりをしていると、簡便さと複雑さのあいだでいったりきたり。
そうして右往左往しているうちに、作品のクオリティがあがっていくのだと思います。
一羽の弱ったコマツグミをもう一度巣に戻してやれるなら
アメリカの歴史的詩人、エミリーディキンスンの詩です。
一つの心が壊れるのをとめられるなら
わたしの人生だって無駄ではないだろう
一つのいのちの痛みを癒せるなら
一つの苦しみを静められるなら一羽の弱ったコマツグミを
もう一度、巣に戻してやれるなら
わたしの人生だって無駄ではないだろう
わたしにとってブログとは、まさにこういうこと。
ブログとは、インターネットという大海に流す「瓶に詰めた手紙(ボトルメール)」のようなものです。
いつかどこかで、誰かが読んでくれるかもしれない。
そしてもしかしたら、その人が壊れるのをとめられるかもしれない。
だとすれば「わたしの人生だって無駄ではないだろう」
エミリー・ディキンスンは、生涯に渡ってひとり小屋に籠もり、詩作を続けていました。
没後、妹が大量の詩を発見し、出版社に送ったところたいへんに評価されたのだとか。
今ではアメリカ最大の詩人のひとりとして数えられています。
幸いなことに今はインターネットがありますから、都会の小さな部屋で日夜執筆しているわたしも、その内容さえ良ければそれなりに評価してもらえます。
そんな現在だからこそ「弱ったコマツグミを巣に戻してやる」ようなやさしさを持ち続けることが大事だと思っています。
さよならだけが人生ならば またくる春はなんだろう
寺山修司の「幸福が遠すぎたら」詩です。
さよならだけが 人生ならば
また来る春は何だろう
はるかなはるかな地の果てに
咲いている野の百合何だろうさよならだけが 人生ならば
めぐりあう日は何だろう
やさしいやさしい夕焼と
ふたりの愛はなんだろうさよならだけが 人生ならば
建てたわが家は何だろう
さみしいさみしい平原に
ともす灯りは何だろうさよならだけが 人生ならば
人生なんかいりません
どうせ失ってしまうのなら、すべては無駄だったのでしょうか?
だとすれば諸行無常にすべてが移り変わっていくこの世界は、人間は、すべてが無駄だということになってしまいます。
そんなの、本能的に納得できません。
しかし「無駄ではない」と言い切るには、いつも何かが足りない。
さよならのない人生なんてない。
その圧倒的な事実が、言い切ることを邪魔してきます。
この詩も「別れ」に対して、かんたんな答えを提示して、安易な気休めをしているわけではありません。
むしろその悲しみをいっしょに悲しんでくれるような詩です。
しかしそれこそが気休めではなく、ほんとうの意味での慰めになるように思います。
人を愛するとは、その人の背中を守ることですよね。
その人が背負ってきたもの、背負っていくものを理解することだと思います。
そして背負っているもののほとんどが、きっと悲しみではないでしょうか。
だとすれば、この詩の態度と同じようにいっしょに悲しむことが愛する上では必要なのだろうと思います。
そして作品を通しても、誰かの悲しみに寄り添えるようにしたいと思います。
人がどう思おうと
人がどう思おうと私は私。自分の道を行くだけよ。
これはオードリー・ヘップバーンの言葉。
この言葉は、とても自身に満ちているように見えます。
しかしわたしは、オードリー・ヘップバーンが自信家だったのではなく、努力家であり、勇敢だったのではないかと思います。
実は多くの人は自信の解釈を間違えているのではないでしょうか?
「自信がない…」と嘆いている人は、たいてい今なにかに挑戦しなければいけない時。
自信がないとは「挑戦して成功する(勝利する)自信がない」ということです。
しかし、ちょっと冷静になって考えてみると、自信って勝敗にそんなに関係あるでしょうか?
スポーツを例にするとわかりやすいかもしれません。
プロスポーツ選手はそりゃ、当たり前にみんな自信をもっています。
でも勝敗を分けるのって自信よりも実力があるか否か、その一点のみですよね。
自信があるとかないとか、そんな気持ちの問題が入り込む余地はそうそうない。
例えばどんな自信がない選手がいたとしても、めちゃくちゃ才能があれば勝利してしまうでしょう。
また相手が自分より努力もせず、才能もない、つまり実力がなければ、こっちがサボっても勝利してしまうことすらあります。
もっと言えば、実力もないのに自信だけはある人はなんか滑稽ですよね(笑)
実力をつくるのは、その人の努力と才能です。
いくら気持ちだけ作っても、実力が伴っていなければ成功はつかめません。
つまりものごとを成そうという時に、自信という気持ちの問題にフォーカスしてもあまり意味がないのです。
しかし、そもそも自信がなければ、その挑戦のステージにすら立てないという人がいるかもしれません。
その場合、必要なのは自信ではなく、正確に言うと勇気ではないでしょうか。
勇気は自信のように根拠を必要としません。
自信とは自分を信じるわけですから、何かしらの後ろ盾が必要ですよね?
例えば「これだけ練習したら自信が持てる」とか「親に才能があるからきっと自分も」とか。
対して勇気は「○○だから勇気が持てる」というシロモノではありません。
「とにかくわからないけど、やってみよう!」という気持ちが勇気です。
スカイダイビングやバンジージャンプを想像してみて下さい。
飛び出すのに必要なのは自信でしょうか?
いやその場合、自信の根拠となるものが何もありませんから、とにかく「えいや!」と振り切る勇気だけが、足を出させてくれるはず。
同じように何ごとも始める前から自信はつかないのではないでしょうか。
はじめは誰でも根拠も、理由も、理屈もない勇気を振り絞って挑戦するしかないのです。
つまり物事の勝敗や成否を決めるのは、
- まずそこに飛び出す「勇気」
- 努力と才能によってつくられた「実力」
です。
簡易的な図で表すとこんな感じでしょうか?
まずやらなきゃ何もはじまらないわけですが、それに挑戦する勇気が大前提として必要。
その上に努力と才能があり、実力が支えられています。
成功はこれらの要素によって支えられており、そこに自信は関係ない。
むしろ自信には過信というリスクもあります。
自信は過信と表裏一体。
かえって成功の足をひっぱることもあるでしょう。
だとすれば、最初から自信(過信)を勘定に入れない方が得ではないでしょうか。
実力を支える勇気、努力、才能のうち自分でどうにかできるのは勇気と努力のみです。
たいして影響もなく、むしろ過信というリスクがある自信について悩むのではなく、もっと影響の大きい「勇気」や「努力」にフォーカスした方が何倍も得なはず。
勇気をもって色んなことにどんどん挑戦すると、自分の才能を見つけられる可能性が高くなります。
努力を続ければ、それはもちろん成功へと近づきます。
「自分に自信がないんだ…」という人はこの
自信なんて大した役にも立たないから、考えない方がマシ
という考えをぜひ知って欲しいと思います。
自信がなくて不安になったり、悩んでいる時間があったら、自分のできる範囲で手を動かしたり行動する。
オードリー・ヘップバーンも勇気を持って挑戦し、努力をひたすらに続けてきたからこそ、結果的に自信がついて、この名言が出たようにわたしは思います。
それでもどうしても「自信をつけたい」という人は、他人に褒めてもらいましょう。
もしかしたら「自信なんて意味ない」というこの考え方はちょっとストイックで冷たく感じたかもしれません。
むしろ落ち込んでいる時は、シンプルに励ましてもらった方が良いだろうし、人にはそんな時間も必要です。
身近に友達や家族がいない人は、例えばこのネット社会ならでは「診断ツール」を使って励ましてもらう。
ミイダス というサイトには、あなたがもし転職した時の推定年収を診断してくれるツールがあります。
年収という具体的な数字であなたの可能性を示してくれるので、良い意味でいいわけができません。
自分が思ったよりも推定年収が高く「あなたはこのくらい稼げる人材です」と言われれば、それを受け止めるしかないでしょう。
つまり自信を持たざるを得ないのです。
もちろん無料で使えますので、自信をつけたい人は使ってみて下さい。
明日を生きる
過去に浸らず
今に溺れず
未来に夢みず
明日を生きる
これはわたしが考えた名言です(笑)
自分が生きてきた日々=過去を慈しむのは大切なこと。
でも「あの頃は良かった」と嘆き、絶望するなんて、なんだか残念ですよね。
でもだからといって、未来に過剰な夢を抱けば、それは悪い大人たちに足元をすくわれる。
そして未来とは誰にとっても平等に短くなっていくもの。
夢見る未来がない、ということに少しずつなっていくわけです。
じゃあ「今」にフォーカスするのが良いのでしょうか。
近ごろきくマインドフルネスなども、やっぱり今に集中するメソッドだと思います。
でも、それはそれで罠があると思うんですね。
「今を生きる」とは「今が良ければそれでいーじゃん」に飲み込まれがち。
ただただ無節操に、「今」を消費する方向へと引っ張られる時があります。
例えば二日酔いとか、ギャンブルとか(笑)
では、どうすればいいんでしょう?
わたしは「明日を生きる」という心構えが大事なのかなと思っています。
明日とは近い未来。
どうなるかわからない遠い未来より、把握しやすい未来です。
明日よりよく生きるために、今日できることをやる。
そういった意識で仕事や食、生活や人間関係を生きると、うまくいく気がします。
明日、楽しく生きるために、仕事を持ち越さない。
明日、元気に生きるために、今日は食べすぎない、飲みすぎない。
明日、仲良く生きるために、今日謝っておく。
そうやって積み重ねていったまいにちは、振り返ったときにより良い人生になっている気がします。
変えられない「過去」。
不確実な「未来」。
それらにとらわれないこと。
だからといって、人生の前後関係をすべて捨て去って「今」に逃げ込んだりもしない。
だから「明日」を目指して生きていく。
人には希望が必要です。
でも過剰な希望は過ちを招くでしょう。
「明日」という手のひらに届く希望を目指して生きていくことが、じぶんの身の丈にあった幸せを作ってくれる気がします。
シンプルに働いて、続ける
精神面だけでなく、フリーランスとして仕事を続けるための具体的なメソッド、ライフハックも紹介しています。
なるべくストレスなく働きたい人は、合わせてチェックしてみてください。
関連記事:ミニマリストフリーランスの仕事術。シンプルに働く方法